「なぜ生きる」の勉強会内容の紹介
目からウロコの異業種交流会@岡山は、人生を幸せに生きるための仲間づくりと勉強を目的としている社会人サークルです。
このことは、毎月の勉強会の時に皆さんに確認していることですし、当異業種交流会の一番の趣旨としているところです。
この『幸せに生きる』ことを目的として毎月一回の勉強会を開催していますが、同じ世話人の「ナベちゃん」から幸せになる道を教えている勉強会の紹介がありました。
そこで、主催者としては知っておくべきだと思い、興味を持ったメンバーとともに参加してきました。
その時に学んだことが、「目からウロコ」が落ちそうなくらいの内容だったので、この「目からウロコの異業種交流会@岡山」のホームページで紹介したいと思います。
人生と言うものを考えた
勉強会の冒頭は、
「毎日同じことの繰り返しに何の意味があるのか?」
「何をしてもむなしいのはどうしてか?」
「苦しくても生きていかなければならないのはどうしてか?」
という問いかけから始まりました。
確かにそんなことを思わないでもないですよね。
そこで、まずは生きると言うことについて考えさせられました。
「生きる」ということは、「歩く」「走る」「泳ぐ」「飛ぶ」と言うものと一緒で、どこかに向かっていることです。
なぜ一緒かと言うと、時間の流れが昨日⇒今日⇒明日というように、とどまることなく流れているからです。
「歩く」ことも止まってしまっては歩くということにはならないでしょう。
時間も同じ日が二度とこないように、未来へと「生きている」のです。
それでは、どこに向かって生きているのかと言うと、時間の流れは一方向なので未来に向かって、です。
とんちで有名な一休さんも、「世の中の 娘が嫁と花咲いて 嬶としぼんで 婆と散りゆく」と謳っています。
これは女性の一生を表していますが、男性も呼び方が違うだけで同じコースを辿ります。
おばあさんが娘時代に戻ることはできないように・・・
そんな中で、必ずぶち当たるのが「散りゆく」と言われるように、『死ぬ』 ことだそうです。
娘さんがおばあさんにならなかったとしても、100%確実に『死』はやってきますよね。
また、人生について、一休は別の歌も謳っています。
「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
「冥土(めいど)」というのは、メイド喫茶のめいどと違って、「死後の世界」のことです。
門松と言うのは、正月に飾る飾りで、門松が飾られると一年たったと言うことで、みんな「おめでとう」と言いますが、実は一年たつと言うことは、それだけ大きく死に近づいていると言うことです。
だから、「めでたくもない」と述べています。
このように考えると、人生と言うのを真面目に考えると暗くなるように感じます。
とはいえ、途中で帰るわけにもいかないので、続きを聞きました。
「どう生きるか」よりも「なぜ生きる」がもっと大切
死に向かっている人生ですが、その人生で求めているものと言えば、
お金、財産、結婚による幸せな家庭生活、地位、名誉、子ども・・・
などです。
これらが、自分の人生を豊かにするためのものだと信じて、毎日一生懸命求めて生きています。
私もそう思っています。
これらのものをどのようにしたら手に入れることができるのか、ということを考えています。
言い換えれば、毎日「どう生きるか」に一生懸命になっていますよね。
しかし、勉強会の中で、「「どう生きるか」も大切ですが、「なぜ生きる」かの方が最も大切なんですよ。」と言われました。
「なぜ生きる」というのは、「人生の目的」と言うそうです。
目的と言えば、「歩く」ときも「走る」ときも大切ですよね。
飛行機に乗るのも目的地へと向かうためです。
最近のエレベーターも、ただ乗ってボーっとしていると、「行き先ボタンを押してください」と言って目的の階を催促してきます。
意識するにしても、無意識にしても、それだけ目的地と言うのは大切です。
そんなに大切な目的地ですが、「生きる」ことに対しての目的地は考えているでしょうか?
・・・・私の場合は、結婚して、お金を稼いで毎日健康に生きるのが目的だと考えていました。
それが幸せな人生なんじゃないか・・・・と。
ですが、違ったようです。
というのも、今挙げた「お金」や「結婚」「健康」を目的地に設定すると、いずれ散りゆく命にとってはなんの意味もないのです。
死んだ後は何一つ持っていけませんからね。
また、「お金」や「家族」「健康」がなくて苦しんでいるのは、いわゆる枝葉末節のことなので、それよりももっと大切な根本部分を解決することが幸せになる道だ、とのことでした。
これは、7月の目からウロコの異業種交流会@岡山の勉強会でナベちゃんの話とダブりました。
ここで書くと重複してしまうので、詳細はコチラを参照してください。
あってもなくても苦しむのが人間・・・だからこそ、
人間はいろんなものを求めて生きています。
お金がない時はお金を。
結婚していない人は結婚に憧れるし、子どものいない人は子どもが欲しいと願う。
しかし、ない人だけが苦しんでいて、ある人は苦しみがなくなるのでしょうか?
H28年7月末に東京都知事選がありますが、立候補している人はみんな知事のイスを求めています。
「知事になったら幸せになれる」と信じているのでしょう。
しかし、前の都知事を見てみると、都知事になったからといって幸せだったかどうかは分かりません。
最後は見るも無残な終わり方だったと思わずにはいられません。
「波音を 聞くが嫌さに 山家(やまが)に住めば また松風の声がする」
という歌もあるように、波音が嫌で、山奥に移り住んでも、今度は松がこすれる音がして、違う形となってまた別のものに嫌気がさしてきます。
このように、ない人はない人で苦しみ、ある人はある人で苦しんでいるようです。
このことを『有無同然』と言われるようです。
ここで面白いなと思ったのが、『苦しむ』ということです。
どうして「あってもなくても幸せ」とならないのだろうか?
思うに、人生と言うのは思い通りにならないもので、苦しいものだからではないでしょうか?
だからこそ、幸せになるための方角をきちんと知っておく必要があると再認識しました。
どうすれば幸せの道に進めるのか?
結局のところ、自分が目的だと思っているものは、あってもなくても苦しむものだから、もっと根本的な解決が必要だと言うことです。
この答えに対して、今回聞くことができました。
目からウロコの異業種交流会@岡山の勉強会でも、聞きたいところでいつも時間切れになって聞けなかったことですからね。
では、それは何だったのかと言うと、、
『仏法を聞くこと』
だそうです。
・・・・なんじゃそりゃ!!!
っていうか、まず仏法って何でしょうか?
誰かがそんな質問を代わりにしてくれました。
今回、「一言では説明できない」ということでしたが、勉強会の中では『お釈迦様の教え』と言っていました。
それって何なんでしょうか?
謎は深まる一方でした。
とはいえ、悪い話ではないし、ただ聞いていくことだけでいいのであれば、続けていくことができそうです。
そう思って次回の勉強会の案内を見てみると・・・・・
全部平日やんっっ!!!
ってことで、仕事の都合上、参加できそうにないですね(^^;)
そんなわけで、また引き続き目からウロコの異業種交流会@岡山の勉強会でナベちゃんに話をしてもらうことにします。
そうすれば、皆さんにも話を聞いてもらうことができますからね!
ってことで、皆さんの目からウロコの異業種交流会@岡山の勉強会参加をお待ちしております☆
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