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いろは歌から学ぶ  

目からウロコの異業種交流会@岡山の「のび」です。
今回はナベちゃんがオススメしている勉強会に招待されたので、参加してみました。
面白そうな内容だったのでみなさんにシェアしたいと思いますので、興味がありましたら最後まで読んでいただけると嬉しく思います。
では、どんな内容だったのかというと、『いろは歌』についてでした。「いろは歌」って聞いたことありますよね?中学生か高校生の時の国語の授業で少し触れることがあるのではないでしょうか?
と言っても、どんなものだったか思い出すのが大変かもしれないので、先に進めていきますね。
「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす」
これが全文・・・のはずです。
今では「あいうえお かきくけこ ・・・」の50音でひらがなを覚えますが、実は昔はいろは歌を使ってひらがなを覚えていたようです。
なぜならば、いろは歌で使われている文字は、どれも同じのが被っていないのが特徴なんです。
ウソだと思ったら確認してみてください。パソコンの打ち間違いがなければ、大丈夫なはずです(笑)
では、いろは歌って、一体何を述べている歌なんでしょうか?

目次

いろは歌の意味ってなんだろう


いろは歌をひらがなで書いてみても、なかなか意味が分からないと思いますので、漢字を当てて書き直してみます。
「色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならん 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔いもせず」
ひらがなばかりの時と比べたら、なんとなく意味が伝わってきますよね。
では、これがどういう意味なのでしょうか?

色は匂えど散りぬるを

「色は匂えど」というのは、花が咲いているということです。「色」と言うのは桜の花を表しており、咲き誇っている様を「匂う」という表現をしています。
「散りぬるを」というのは、散ってしまうということ。
咲き誇っている花もいつかは散ってしまうという意味を指しており、これは「諸行無常」ということを表しています。

我が世誰ぞ常ならん

「我が世誰ぞ常ならん」というのは、誰がこの世の中で永遠に生きている人がいるだろうか、ということを表しています。
仏教の言葉でいうと「是生滅法」ということであり、崩して読むと「是れ生滅の法なり」ということです。
生滅と言うのは「生まれたものは必ず滅する」ということであり、「法」というのは「いつでもどこでも変わらない真理」ということです。
人間と言うのはいつかは年をとって死んでいく存在であるということを歌っているわけですね。

有為の奥山今日越えて

「有為の奥山」というのは、そんないつかは消滅してしまうような場所から、ということ。
「今日越えて」というのは、生きている現在、その場所を超越していくことができるということだそうです。
ハッキリ言って、勉強会に参加していても、この部分はよく分かりませんでした。
人間は生きていればいつかは必ず死んでしまう、というのはよく分かるんですが、そこを生きている現在超越してしまうということは意味不明です。

浅き夢見じ酔いもせず

「浅き夢見じ酔いもせず」というのは、浅い夢を見ないし酔いもしない、ということです。
浅き夢を見ないということも、酔いもしないということも、同じような意味を持っているようです。それは何かというと、夢にも酔いにも同じような特徴があって、「さめる」ということがあります。それが、さめることがないということ。
この部分も勉強会で話を聞いていましたが、よく分かりませんでした。

いろは歌の勉強会を通してのまとめ

勉強会全体を通しては、和やかな雰囲気であり、講師の先生も分かりやすく話をしてくれました。
国語の勉強みたいでなんとなく懐かしい感じで話を聞くことができ、今となっては新鮮な感じで面白かったです。
ただ、今回の勉強会だけでは、「いろは歌」の深い部分にある意味を汲み取ることができなかったので、理解しようと思ったら継続的に学んでいく必要があるんじゃないかと思います。
人生を豊かに生きていく上で、何かしらのためになるような深いものがあるように感じたので、もしこの話で興味をもったら、今度ナベちゃんに勉強会に誘われたら一緒に行ってみましょう。

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