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真に勇気のある人とは 

目からウロコの異業種交流会@岡山の「のび」です。
社会で生きている中で、勇気ある行動ができる人と言うのは人から尊敬されている人が多いです。勇気ある行動をすることは人の役に立つことだからでしょう。
とはいえ、では『勇気』とはいったいどういったものを指すのか?と考えてみたときに、すぐに答えることができるでしょうか?
「困難に立ち向かっていくこと」
「嫌なことは嫌と言えること」
「新しいことに挑戦すること」
など漠然としたものを想像するでしょう。
ところが、勇気ある行動と言うのは結果的に言えることであって、実際に定義するのは難しいかもしれません。
例えば、困難なことに立ち向かっていくことを例にすると、ちょっと行き過ぎてしまうと『無謀』と言われるかもしれません。嫌なことを嫌と言ってしまえば、人間関係が悪化する恐れがでてきます。
新しいことに挑戦するにしても、結果を出せなければただの変わり者として扱われてしまうでしょう。

中庸の考え方では

アリストテレスの時代の西洋哲学を考えてみましょう。
その場合、『勇気』というのは、『臆病』『無謀』の中間的なものであるという考えをしています。
何も行動に移さないのは、思慮深いと捉えることもできるかもしれませんが、ただ単に臆病だから行動できないわけです。
反対に、何も考えずに突っ走る人と言うのは行動力があって素晴らしいという声も聞こえてきそうですが、無謀なだけかもしれません。
西洋哲学の考えでは勇気と言うのは、臆病でも無謀でもなく、妥当なところで行動することといえます。

東洋哲学にみる勇気とは

では、東洋哲学では勇気をどのようにとらえるのか考えてみましょう。
歴史的にみても、勇気ある人と言うのはたくさん挙げることができるでしょう。
坂本龍馬は勇気ある行動をして日本を大改革した立役者として人気を博しています。
そういった偉人たちの行動や言動から勇気と言うことを考えてみると、真の勇気と言うのは「恐れを知って、しかもそれを恐れない人が真に勇気のある人」ととらえることができます。
どういうことかというと、「恐れを知って」というのは大切なことで、リスクを知って行動できるということです。
リスクも考えずに行動してしまえば、ただの無謀な行動になってしまいます。
では、リスクを知っているなら、なぜ行動するのでしょうか?
それは、リスクを冒してまで行動しなければならない理由があるからでしょう。
将来を考えたときに、リスクがあるからといって現状維持をしていては発展も成長もありません。
ましてや人生の一大事を解決しようとするのであれば、行動しなければ解決には向かわないでしょう。
このとき、解決できるかどうかは分からないかもしれません。
それがリスクとも考えられます。
しかし、現状のままでは何も変わらない。
それどころかどんどん悪化してしまう状況であれば、行動することは勇気ある選択なのではないでしょうか。
だからこそ、「恐れを知って、しかもそれを恐れない人が真に勇気のある人」と考えることができるのです。
そのような行動をするためには、やはり自分の生きる指針と言うものがしっかりと明確になっていないといけません。
行き先がはっきりせずに、フラフラした人生を送っていては恐れを乗り越えて行動する気持ちにはなりませんからね。
目からウロコの異業種交流会@岡山に参加して、皆と一緒に人生の目的を考えていきましょう。

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